国際情勢と言うとどうしても各国の外交、安全保障政策に目が行きがちですが、その国の国内情勢も非常に重要なファクターです。どのような大国でも、国内の情勢次第で、他の国との関係性が変化したり、国際社会での立ち位置が変わってしまうことがあります。まさに今、アメリカにそのようなことが起こっています。アメリカは世界一の軍事と経済大国であり、世界中に同盟国・友好国のネットワークを持っています。シカゴ・グローバル評議会の調査によると、アメリカ人の多くはこのネットワークが自国の外交的な目的を達成するために、最も重要なファクターだと考えています。アメリカ側だけでなく、同盟国・友好国側もネットワークに参加することによって安全保障や経済面で恩恵を受けています。しかし、今アメリカが抱える大きな問題、つまり国内の分断が、このネットワークを支える基盤を揺るがしています。それはつまり、アメリカの国内の分断が日本にいる私たちにも大きな影響を及ぼすということです。アメリカの分断を通して、国内の問題が安全保障環境にどのように影響を及ぼすのかについて考えたいと思います。
アメリカを中心とした「西側諸国」のネットワークは偶然の産物ではなく、アメリカの国家戦略に基づいて構築されました。第二次世界大戦後、ソ連を中心とした共産主義がヨーロッパに浸透することを阻止するために、集団防衛を目的とした北大西洋条約機構(NATO)を欧州諸国との間で設立します。集団防衛とは、同盟国への攻撃は自国への攻撃と見做すという合意です。この一見リスクが高い枠組みを作ることで、敵国からの加盟国への攻撃をけん制します。NATOは集団防衛以外にもとても重要な安全保障の任務があります。それは、半世紀の間で二度の大戦を繰り返した欧州諸国の結束を高めるというものです。フランスのマクロン大統領が2019年にNATOは「脳死状態」にあると批判しました。しかし、ロシアがウクライナに侵攻すると、加盟国同士の結束が一気に強まり、今ではウクライナへの軍事支援の重要なアクターです。時代によって浮き沈みはあるものの、隣国(加盟国)の安全保障問題は自国の問題と考える枠組みの構築に成功しました。一方で、アジア太平洋では「ハブ&スポーク」と言う枠組みでネットワークを構築しました。これは、中央の拠点(ハブ/アメリカ)とそこから延びる複数の拠点(スポーク/同盟国)によって形成された構造のことを言います。ハブ&スポークのモデルでは、NATOのようにすべての加盟国を同じ条件で一つの枠組みに入れてしまうのではなく、各同盟国と二国間同盟を結んでいます。日米、米韓、米比の間で交わされている軍事同盟条約のように別々に同盟を組むことによって、一つの国や地域で有事があった場合、他の同盟国は巻き込まれる心配はありません。ただし、運命共同体の側面が薄れるため、同盟国同士の結束は弱くなります。このようにして、アメリカは戦後直後から、戦略的に地域の安全保障環境に合わせた形でネットワークを構築しました。
ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は、アメリカのネットワークは「スマートパワー」による功績だと説明しています。スマートパワーとは、ハードパワーとソフトパワーの両方を用いることを指します。ハードパワーと言われる軍事的、経済的手段だけ他の国に言うことを聞かせようとしても、その資源が尽きたり、他の国の方が「強く」なれば影響下にあった国は寝返ってしまう可能が高くなります。アメリカは軍事、経済面において明らかな大国ですが、それと同時にリベラル民主主義国家として、個人の自由、平等、法の統治を基礎理念とした価値観は多くの国の模範になっています。飴(ソフトパワー)と鞭(ハードパワー)を両方用いて、同盟国・友好国を引き付けるのがアメリカの得意技です。ハードパワーとソフトパワーどちらか一つだけ突出しているだけでは、これだけのネットワークを管理することはできません。二つのパワーを絶妙に使い分けて初めて構築して維持できるのです。
このように、複雑なネットワークを数十年間にわたり維持してきたアメリカですが、ここ最近その基盤であるスマートパワーの正当性が揺らいでいます。アメリカのネットワークの最大の敵は、ロシアでも中国でもありません。それは、アメリカ自身、具体的には国内の分断だと私は考えています。アメリカのスマートパワーの重要な要であり、リベラル民主主義の根底的な理念である、個人の自由、平等、法の統治に対して、他国が疑問を思う時代に突入しました。トランプ前大統領がTPP、パリ協定、イラン核合意から離脱したり、NAFTAの再交渉を持ちだしたり、各国との安全保障同盟は不平等だと発言したり、従来のアメリカの政策とは逸脱したケースが多々ありました。その度に、ワシントンDCにいるキャリア外交官は同盟国・友好国に対して、「これはトランプが勝手にやったことで、アメリカの真意ではない」と伝えてきました。しかし、トランプがいなくなった今でも分断はちっとも癒されません。今年の出来事で言えば、中絶の権利を認める1973年のロー対ウェイドの最高裁判決が今年最高裁によって覆されたことが象徴的でした。女性の自由、自身の身体における基本的な人権のはく奪と言う点と一度最高裁で決めた判決が覆されたと言う法の統治の二つの問題点として注目されています。ピュー研究所の調査によると、アメリカ人はこの50年間の中で今が最も自国が分断していると考えています。また、1971~1972年に160名以上いたとされる穏健派の連邦議員は、現在では20数名に減ってしまったとされています。この分断の問題は根が深く、2024年の大統領選挙で誰が次期大統領に選ばれようと、短期間での修復は難しいでしょう。アメリカにとって重要な資産であるネットワークが、国内の分断により脆弱になっています。今、アメリカの最大の敵は、アメリカ自身なのです。
皮肉にも、ウクライナ情勢を通して、アメリカの国際的なリーダーシップが再認識されなければ、アメリカのネットワークの脆弱性はより目立ったでしょう。事実として、アメリカがロシアに対する制裁の旗振りをして、軍事支援を通してNATOとの結束を強めました。アメリカなしに、この規模の多国間の協力を迅速に実現することできなかったでしょう。これは共和党と民主党が、ウクライナへの支援についておおよそ合意したから実現しました。しかし、次の大統領は同じ決断をして、西側諸国をまとめることが可能でしょうか。そもそもまとめることに関心があるでしょうか。もしまた国民の不安や不満を煽るようなポピュリストがリーダーに選ばれることがあれば、分断を癒すどころか、助長するでしょう。そうなった場合、ネットワークに属する同盟国・友好国はリスク回避の為に、ネットワークへの依存度を軽減する、またはそこから離脱を考えなければいけない状況に置かれます。これはアメリカにとっても、同盟国・友好国にとっても非常に経済的、政治的にコストがかかることです。もし、日本が日米同盟を解消すると決めたら、軍事力を強化し、法整備を行い、抑止力を再構築しなければいけません。 そのコストがかかるとしても、もうこれ以上アメリカに頼れないと思われた時点で、ネットワークは崩壊してしまいます。
今後ネットワークを維持するためには、アメリカが自国の問題をいかに対処するかにかかっていると私は考えています。アメリカの分断は、日本で生活する私たちにとっても深刻な問題でもあるのです。この問題は根深く、簡単には修復はできません。過去にアメリカ政府は、国内に問題があると、国外に国民の意識を向けるようにあらゆる手段を試してきました。ただし、今回はそうはうまくいかないでしょう。ウクライナへの軍事支援がそのいい例です。先述したように、ウクライナへの軍事支援は国内でも多方面から賛同を得ましたが、それが分断の特効薬にはなっていません。今回は、一時的な気の紛れではなく、分断の根源から修復する必要があります。私は、その根源は、貧富の差だと考えています。現代の雇用市場に合わせたリスキリング、新ニューディール政策となる大規模なインフラの建築・更新が効果的だと考えます。このような大々的な政策を打ち出すことができるリーダーが誕生すれば、国内だけでなく、ネットワークに参加する同盟国・友好国も自信が持てるでしょう。2023年は、翌年の大統領選挙に向けて、今以上に分断を修復しようとする陣営と助長しようとする陣営の二つに大きく分かれる年になると考えられます。民主党からは現職のバイデン大統領が出馬するとされていますが、まだ確実とは言い切れません。共和党は、先月の中間選挙で期待よりも下回る結果でした。来年もアメリカの分断と国内政治が国際情勢に大きな影響を与える年となりそうです。